平泉の黄金文化とは

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平泉の黄金文化

黄金文化は、平泉や奥州藤原氏を
支えてきたと言っても、良いのでは
ないでしょうか。

 

平泉の黄金文化についてご紹介します。

 

黄金文化の源は

平泉には現在でも、金色堂があり当時の黄金文化を今に伝えていますが、
何故それほどまでに、平泉には黄金があったのでしょうか。
それは、平泉のある岩手の県南地方や、岩手と秋田の県境の山脈には
良質な金山があったからです。

 

古代から東北地方の住民は、蝦夷(えみし)や俘囚(ふしゅう)と呼ばれて
朝廷と対立してきましたが、その訳の一つが、北東北に広がる金山です。

 

 

奥州藤原氏と黄金

奥州の黄金は、藤原氏の前から、土地の豪族等に利用されてきましたが、
後三年の役で権力を手中にした清衡により、一括管理され利用されました。
いわゆる平泉の黄金文化のスタートです。

 

現在は、金色堂位しか黄金文化の面影は残っていませんが、
一番黄金文化が栄えたとされる奥州藤原氏三代秀衡の時代には
当時の都を凌ぐほど、平泉は黄金に溢れていたと言われます。


東方見聞録にも登場した金色堂

東方見聞録と言うと、マルコ・ポーロにより初めて、世界に日本が紹介されたとして
有名な本ですが、その中の一説に「黄金で作られた建物」と言う文章
出てきますが、これは金色堂を指していると言われています。


政治・経済を支えた黄金

 
金山から産出された金は唐の国(中国)との貿易に使われたり、
京への献上品としても使われました。
これにより当時の平泉には、貴重な海外からの品も豊富に揃っていたそうです。

 

また、献上品として金や外国の貴重な品を使って政治的に安定させ、
戦のない平和な世界を築こうとしました。
  
戦のない平和な世界とは、浄土の事で、平泉の大きな
文化価値の一つである浄土思想に、つながります。

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