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奥州平泉とは

現在の岩手県西磐井郡平泉町の事です。
通常は、奥州という言葉は付けません。

 

奥州平泉という名称は、平泉が
奥州藤原氏と関係が深いことや
当時(藤原氏の時代)は、東北地方全体を
奥州と言っていて、その中心に、藤原氏が
居住地とした、平泉があったことなどから
奥州平泉と、表現することもあります。

 

 

近年は、平泉の世界遺産登録に対するイメージからも、奥州平泉と表現される事もあります。

 

現在の平泉町

現在の平泉町は、人工約8500人の小さな町です。
然し、陸奥(みちのく)の小京都等とも称される町です。

平泉駅前の写真です。

 

今回の世界遺産登録の前からも、中尊寺や金色堂と行った
名所があるお陰で、県内でも有数の観光地です。


奥州平泉の歴史

古代から平泉周辺では、朝廷(国家)と
朝廷からの支配を拒んた人々(蝦夷・えみしと言います)
との争いが、多く発生していました。

 

奥州平泉の歴史で、一番メインとなるのは
平安時代末期に、奥州(現在の東北地方)を
支配した、奥州藤原氏の約100年間に及ぶ
歴史
だと思いますが、実際はそれ以前から、奥州平泉の歴史は、
戦の歴史として始まっています。

 

アテルイの戦い

アテルイは蝦夷として、朝廷側(大和朝廷)と10年以上、数回に渡って戦いました。
前半の戦では、10倍を越す朝廷軍を下したアテルイも、坂上田村麻呂に
降服して都で処刑されました。

アテルイについては、奥州平泉を描いた小説である、炎立つの原作者の高橋克彦さんが
火炎と言う小説で描かれています。とってもオススメの一冊です

前九年の乱


前九年の乱は、源頼義と奥六郡の長である阿部一族との戦いです。
奥州藤原氏初代である清衡の父や、母方の叔父等の親類縁者が、戦死した戦いです。

後三年の役

後三年の役は、清原氏の中での覇権争いです。

源義家が、清原一族の内紛(兄弟3人による覇権争い)に介入して、清衡が勝利をおさめました。
前九年の乱から後三年の役迄の戦いを、奥州十二年合戦とも呼びます。
(詳細は下部の関連ページにある奥州藤原氏とはのページ&
奥州藤原氏の歴史と栄華のページを御覧ください)
この戦いを経て、奥州藤原氏の時代が始まります。

 

奥州藤原氏の時代

 

後三年の役で勝利を治めた清衡は、浄土思想を唱えて、平泉に中尊寺や
毛越寺、無量光院、観自在王院、柳之御所などを初めとする、
寺院や宝塔を数多く建立していきます。
  
平泉を、都を越す都にしようとしたとされています。
一番奥州平泉が栄華を極めたのは、3代の秀衡の時代です。

 

奥州藤原氏の終息

奥州藤原氏の終息が、同時に奥州平泉が、歴史の表舞台から消えた時と
言っても、言い過ぎではないでしょう。

 

4代の泰衡が代をついで直ぐに、源頼朝との戦いで敗れて(奥州合戦)
奥州藤原氏の、約100年の歴史に、ピリオドを打ちました。
これが世界に例を見ないとまで言われる、奥州平泉の主だった歴史です。


奥州平泉と奥州市

岩手や平泉に不慣れな方が、戸惑うかも知れないと思い、
奥州市と平泉町についてご説明します。

 

岩手県の県南には、奥州市と言う市があります。
奥州市は平泉町と隣接していていますし、追加候補遺産である白鳥舘遺跡や
長者ヶ原廃寺跡の所在地ですが、平泉町(奥州平泉)と奥州市は異なります。

 

奥州市は、平泉の周辺市町村(水沢市や江刺市、前沢町、胆沢町、衣川町)が
合併して誕生した市です。岩手県内では2番目の人口を誇ります。

 

奥州市も一関市も共に、平泉を吸収合併したいと思っていると思いますが、
平泉町は今迄、単独できました。
今後は恐らく、奥州市に合併するのではないかと思います。

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